みどりの言の葉

patchouly.exblog.jp
ブログトップ

<   2006年 11月 ( 2 )   > この月の画像一覧

生きる、とは。。。

モスが静かに天に帰っていった。数日前から水も飲まなくなったと聞いていたから、少しは覚悟ができていた。まだ動けるうちに犬と一晩寝てみたり、父の仕事場へ始めて入ってみたりと挨拶は済ましていたらしい。動かなくなってからは、30分おきに不安なのか鳴いては「モス」と声をかけられると安心して眠りに落ちていたらしい。私も亡くなる数時間前に携帯をスピーカーモードにしてもらい呼びかけた。
うちは「父→ダン」「母→たま」「私→リル」のように担当が決まっている(気がする)。亡くなった時に担当者以上に悲しんではいけない、担当者が辛くなるだけだからという暗黙の了解がある。モスは担当者不在で、だからこそみんな我慢のしどころがない…。
私のこちらでの生活にはなんの支障もないから実感がないのだけど、いろんな思い出が浮かんでは消え、またわいてくる。声をかけるとしっぽをちょっとだけあげてお返事。しつこく呼ぶと、大きく力強くしっぽをふる。それを手で押さえつけてみると、何度かしっぽを動かし続けて、突然目を見開きガリッとお仕置きを受けてしまう。たまたま犬のマーキング場所でひなたぼっこをしていた為に、黄色いシャワーを全身に浴び、すごい形相で固まっていたり。彼のおかげで統率がとれていたうちの獣たちは、今後はどうなってしまうんでしょう。
リルが来たばかりの時に、ダンの間に割って入ってかばったり、たまチャンが来た時もずっと横で眠っていた。しかし、一旦自分の邪魔をされると容赦なくやっつける、その男らしさ。今時、かたぎの男にしては珍しいほど義理人情を重んじるタイプでした。その生き方、去り際にも命の美しさを見て取れました。とても寂しいけど、すっきりとした感じもするね。
今月に入って、命を失おうとしている動物たちを見せてもらうことが続いています。1匹目は生きる気力がなく、今にも体を離れようとしていた。2匹目は魂と体をつないでいる線が今にもほどけそうで、丁度その頃に亡くなったらしい。そしてモスは、もう食べなくなった後だったのに、「生きる」気力は十分にあるように感じた。今まで小さい頃から飼っていた猫たちがたくさんきていて、モスちゃんの生きようとする気力に「お迎え」か「助け」にきてるのかわからなかった。母曰く、「モスはずっとうちで生まれてきた最後の猫だから、歴代の猫がきてるのよ」と言われて納得。みんなに守られていたんだね。またよければうちの猫になってください。

後日談。。。。
モスを庭に埋め、目印として仕事場にあったサラダをサーブするスプーンとフォークのフォークのほう(木製)を埋めた場所に刺した父。(確かそれワタシあげたお気に入りのやつ・・・)夜、仕事場から家に戻るときに目をやって、映画「キャリー」のラストシーンのように土の中から手が出てると思い、すっごくびっくりしたらしい。おかしすぎる。
[PR]
by midoleeloo | 2006-11-25 17:00 | 徒然なる日々

ゲリーさんのひつじ

正確には「ゲリーさんがひつじの様に髭を伸ばしていた」だな、の講演会。
アメリカ版「江原さん」が言い得て妙かしらね。
何度か諦めそうになりながらも読み終えた彼の著書は、磨く必要のない原石がたくさん。
どれくらいの粒を吸収できるかわからないけれど、未消化の粒も消化される日をいつまでも待ってくれるはず。
「真実に出会うとその本質と自らを比べてしまい、絶望の淵に立たされる人がいる」
彼の著書にあるように私も嫉妬の炎と自己憐憫の灯りを灯してしまうのではないか。
ともすれば中に入ることも許されない、、、かも。
かなりのどきどきと同じくらいのワクワクで会場入り。お気に入りの黄色いメモ帳を開くと「エネルギーバンパイア」と書かれていた。「なにそれ!?」と友達。私「今読んでる本に書いてあった」、友「だからどういう意味?!」・・・一緒にいるとエネルギーを吸い取ってしまうタイプの人のこと。一緒にいるとどっと疲れる人のこと。
ゲリーさんは人の良いアメリカおじいちゃん。とーーっても暖かいから、前の席に座ればきっと汗をかいたはず。彼の英語、きれい。メモは英語で残したい・・・結果、日英ごちゃまぜの紙が、残ったぁ(ここはうるるん風に)。ゲリーの声には一定の音程と速度と圧があって、それそのものがマントラであり言霊で、放たれた言葉の端からエネルギーがグルグルと渦を巻いているのがみえるよう。
通訳をされている大野さんの訳も大好き。順序も言い回しも遜色なく加味するものもなく訳してくれるのです。アメリカの訛りを『関西弁』にしてくれたこともあった。
ゲリーさんの言葉よりもその表情が、一瞬一瞬を楽しんでる姿が生きることへの興味を引き立てる。「僕は3回死に掛けたんだ」といって裾をつまんで左右に会釈。会場に潜む私も含めたエネルギーバンパイアの手をするりと交わし、有り余るほどのエネルギーをくれる。

近頃、自分を消したい人が多い。その日、ある人が「自分の手で終わりにしたい」と言ったのを聞いた。その方向へ気持ちが向かっている風潮がある。素敵に生きている人に直接触れること、それがこの風潮を変える方法の一つかもしれない。実際にその人の圏内にはいることで共鳴するのです、私の一押しのチューニングフォークのように。
「絶望の淵にたたされる」人もいるかもしれないけど、真実の扉は誰でも開けられるもののはず。ただ、押すのではなく、日本式のように横に引くのかもしれないけど、ね。

「自分が誰かを知れば 恐れるものも守るものもなくなる」

ゲリーさんの言葉。
恐れは失うことからくるのであれば、恐れるものと守るものは同義語なのね。
会場にいた妊婦さんに「9ヶ月!?・・・9ヶ月!?・・・9ヶ月!!」と目を白黒させおなかをさわりに行ったゲリーさん。彼の目には全てが今誕生する奇跡なのかも。
[PR]
by midoleeloo | 2006-11-02 07:30 | 徒然なる日々